母親がパーキンソン病を患い杖なしでは歩けない身体になりました。
御年76歳。
活発な人で綺麗好き、掃除好きだったのですが、
もう2年間まともに掃除機もかけていません。
兄夫婦と同居してはいますが二人共仕事で忙しく、
「私の部屋をを片付けて不要品を捨てて欲しい」と言うので、
一人娘の私が大掃除をする事に。
昔の人と言うのは、どうも「もったいない」精神が根付きすぎていて物が捨てられないようです。
去年のカレンダー。
パチンコ玉ほどに小さくなった消しゴム。
10年も前の領収書。
何故取っている?と不思議になるような物が次々と出てきます。
明らかに使いようのない物や不要な物でも、
一つ一つ確認しながら処分品と取り置き品に分けて行きます。
久しぶりに見つければ懐かしくなる物もあるようで、
「これは、あの時に買って、こうして使っていた」
「旅行先で買ったもので、あの旅行の時は…」と、そこから暫く思い出話です。
一向に作業は進みません。
一番時間がかかるのが写真です。
一枚一枚、じっくり確認しては、しばし迷い
「捨てよう…いや、やっぱり取っておこう」
と1枚の写真毎に1分以上の時間がかかります。
病気の母が着られるものは、もう限られていて、
着物や帯は、どう考えても不要になってしまっているのですが、
なかなか思い切れないようで、とりあえず取っておこうとなります。
まる1日かかって断捨離できたのはゴミ袋2つ分。
このペースで行けば何が月、もしかすると何年とかかりそうです。
完全に流行遅れでくたびれてしまった洋服やバッグも同様です。
「不要品を捨ててくれ」と言いつつ、結局捨てきれないのです。
母親が、まだまだ元気で、捨てても捨てても新しい物を購入できるなら、
私も「絶対にいらない」「捨ててしまおう」「また買えばいい」と強く押し切るところです。
ですが、今ある物を捨ててしまったら、もう新しい思い出の品が増える事はないと思うと、
「じゃ、とっておくか」と、捨てかけてゴミ袋から、また回収したりします。
「断捨離」という言葉が使われるようになって久しく、
余計な物を取り除いて前に進むというような、
物理的にも精神的にもポジティブなイメージを持っていましたが、
終活の為の断捨離と言うのは、なかなか複雑な物です。
高齢の親の断捨離というのは、
どうやら「物」ではなく「どう人生と決別するか」という心の問題のようです。
「片付かない」と、イライラせず、気長に付き合おうと思っています。