私は、子供のころや学生時代に着ていたTシャツやチェックなどの柄シャツで、
特に思い入れがあって、ものすごく気に入っているものを、手放すことができません。
私が今まで生きてきたそれぞれの年代で、柄やプリントのデザインや着用感など、
気に入ったものは全て、着なくなってもコレクションとして残しています。
ときどき、そのコレクションから引っ張り出しては着て、
そのシャツを着ていた当時を思い出しながら、
部屋でまったりするひとときが、いちばん癒されます。
その各年代ごとのコレクションですが、
これまで購入後、古着店からフリマアプリに至るまで、
同じものを見かけたということは、ほとんどありませんでした。
今後も、二度と手に入ることはないものばかりだと考えるとなおさら、
手放したくない気持ちが強まります。
◯Tシャツロスのトラウマ
私が中学生のころ、有名スポーツブランドの、
胸にワンポイントでロゴの刺繍の入ったTシャツを、
親のお仕着せではなく、初めて自分で選んで購入しました。
以来とても気に入り、辛いときも楽しいときも、
そのTシャツを着て過ごしてきて、非常に思い入れを感じておりました。
ところが、大学生時代のある日のことでした。
当時私は実家で両親と暮らしておりましたが、
家にいるときは常に、過保護・過干渉で支配的な母親とは、対立していました。
私が大学の講義を終えて帰宅後、
自分の部屋のタンスの中が、異様にすっきりしていることに気づき、
隅々を確かめたところ、その思い入れのあるTシャツの他、
お気に入りの服が全てなくなっていることが判りました。
私が隠し事をしていないかと様子を窺うために、
私の母親は過去にも、勝手に部屋を物色していたことが幾度もありました。
そのために、母親の仕業だと直感した私は、
彼女を問い詰め、彼女が私に無断で大切なTシャツなどを捨てたことを白状しました。
その日私は、母親と大喧嘩したことは、言うまでもありません。
母親への恨みは、いつしか自分自身の自立への原動力となり、
以後、親から独立して自活することを目指すようになりました。
一方で、大切なものを失ったショックは拭い切ることはできず、
その悲しみを埋めるために、都内などの大きな公園で開催されるフリーマーケットで、
捨てられたものと同じTシャツや、
欲しかったけれども買いそびれてしまったシャツを求めて、
会場をはしごするようになりました。
◯今もなお、断捨離と逆行中
長年、フリーマーケットの各会場や古着店で買い漁り、
後にネットオークションやフリマアプリで購入してきた、
これらのシャツのコレクションは、トランクルーム2帖ではもはや、
入りきれなくなりつつあります。
現在、収入もままならないため、これ以上コレクションを増やしたり、
追加のトランクルームを借りる余裕はないことは分かってはいるのですが、
過去のトラウマから、「今買わなければ、二度と手に入らない」
という強迫観念に駆られてしまいます。
かと言っても、断捨離を実行すると必ず、後悔をするであろうことは目に見えています。
また、その時代ごとのファッションの詳細など、なかなか記録に残りづらいものであり、
現物を残すことも、貴重な記録だと思っております。
断捨離に頼らない、良い方法を模索しながら、
今まで入手してきた、これらのシャツのコレクションを維持していこうと思います。