断捨離をすると直後に使う機会が訪れる。

断捨離という言葉を聞くようになって久しいですね。

我が家の場合は面白くて、知人と友人から数か月の時間差でいただいた、

断捨離に関するまったく同じ本が2冊あり、

「そもそもこの本が、断捨離の精神に違反しているね」

という笑い話が、断捨離のスタートだったように思います。

 

さて、「ものは思い出」という言葉もあるように、必要で気軽に買ったものとは別に、

今は亡き恩師からいただいた品や、人生の節目の贈り物など、

何度迷っても捨てられないものはありますよね。

写真や、データもそういったものの一つだと思います。

 

それから、家族から受け継いだ書籍も、絶版になった書籍でなければ、

例えば書店や図書館に行けば同じタイトルの本は当然あります。

 

しかし地球上に一冊、といった意味では、

今、自分の手元にある本が唯一無二の存在で、やはり、簡単に捨てられそうにありません。

そういった思い出と格闘しながら、決断をし、

処分を決めることができた品だけをいよいよ捨ててゆくわけですが、

非常に愉快な具体例として、30年を超えて自分のごく身近に置いておきながら、

あるとき、いよいよ処分した1冊の文庫本がありました。

 

そして、処分してから、1年くらい経った頃でしょうか。

職場の心が通う先輩から、読書で選書に迷ったら、ぜひともこの本を読んでおきべきだ、

と言われた1冊が、まさにその本だったのでした。

結局、「捨てるのではなかったな」と思いながら、

購入する気持ちにもなれず、図書館で借りることになりました。

 

また、ブランドものの高価な靴を捨てて、

1月後には、「自分ではこれから一生買える靴ではなかった」と、猛烈に後悔したということもありました。

 

よく、断捨離では、「迷い箱」なるものを用意しましょう、と言われます。

決断しかねる場合、ある期間だけは、捨てる前に迷うことを自分に許してあげましょう、ということです。

 

けれども我が家は、迷った挙句に使っていないものが大部分です。

そこで私は、断捨離をすると決めた時間は、

その時間に自分が処分の対象として手に取ったものについて、

「捨てるか」「残すか」の2択だけにしています。

 

結果として先ほど書きましたように、処分して程なくして使う機会が訪れたり、

あるいは、処分してしまったことを深く後悔したりということもおきます。

でも、それで良いと感じています。

自分の捨てられない性分をじゅうぶんに理解している私にとっては、

結局使うことになったり、後悔する気持ち、それらを含めて断捨離なのだと感じているからです。

 

それは、断捨離という概念を自分の中に持ち始めてから、

すこしづつですが、確実にきれいになってきている我が家の居心地の良さが、

確かに、日々の気持ちを穏やかにしてくれていることを、実感できているからなのです。



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