本当に大事なもの

私の両親は、浪費家で片づけられない性格をしています。

その反動なのか私はあまり物欲がなく、何もない部屋で暮らしたい、

という願望があります。

 

とは言え同居している以上何もない部屋で暮らすわけにもいきませんし、

物欲がないと言いつつ私も数は少ないながらも

自分の趣味や思い出の品が部屋の一角を占領している始末です。

 

何もない部屋、ではなくせめて快適に暮らせるように片づいた部屋を目標に毎日整理整頓をしています。

しかしこのままでは散らかる部屋を片づける……を繰り返してばかりで理想の部屋には近づけません。

親が捨てられないのなら自分の物をまずは捨てよう、

そう決めて「私の宝箱」と称した一つの箱に、

絶対に捨てられない大事な物、だけを収めるようにしています。

 

最初のうちはその箱と何箱かのダンボールだったのですが

「これは必要だろうかこれは不要だろうか」と悩みながら作業していました。

しかしある時「何年も使ってないものをこれから先使うだろうか」という考えに至りました。

そこからは、普段使うものとそうでないもので片づけのスピードが上がりました。

 

他にも例えば、友達や知人から貰った物だと捨てるのは人情に欠ける、

という気持ちが湧いて捨てにくいかと思います。

けれど人情以前に、その品物は自分にとってどういう物かを考えます。

気に入っている物なら置いておくべきですが、もったいないだけなら物に対する愛情がないも同然です。

好きでもないものを家に置いて無駄に占領するのは気持ちの良いものではありません。

片づけや捨てるときに好きかそうではないかを考えると無駄なものが省ける気がします。

 

ちなみに私が捨てて一番後悔したのは日記帳です。

十年書きつづけた日記帳を捨てた時は惜しいことをしたな、と思いました。

自分が覚えていないことも書き記すことで思い出すこともあります。

今では日記も書かなくなり、記憶が曖昧なもことあります。

記録を捨てても記憶、思い出を忘れない限り大丈夫。

しかし記憶も思い出も忘れてしまったら、自分がしてきたことがなかったたことになる気がしました。

 

色々なものを捨てることが出来てくると段々と快感になってきます。

日記も捨てた直後はスッキリと快感でした。

今まで捨てられないものが捨てられるようになると、捨てた瞬間に心が軽くなるのが分かります。

その快感を知るとどんどん捨てたくなります。

しかしどんどん捨てていくと段々と「最後に残るのは自分」という気持ちが出てきます。

そこまで行くと快感を得るために捨てていることに気付きます。

断舎離をしていたはずなのに本質を見失うのです。

 

「最期に残るのは自分」はそんな見失っていた自分が我に返るためのセーブなのです。

最期は一人で死ぬ、そう思うだけで物を買うのを躊躇ったり無駄なも物を捨てることが出来ます。

これは我慢や自棄ではありません。

本当に自分が必要な物を見極め、大切な物に囲まれて暮らすことは、

心が満たされるということだと思っています。



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