断捨離という言葉が世間を賑わせるようになってから数年たっていたのにも関わらず、
脇目も振らずに仕事に専念し、私生活に他の時間と労力をすべて傾けると、
なかなか世の中を賑わすものに注意関心を払っていなかった私は、
まったくその言葉を聞いたことがありませんでした。
そんなある日、職場の外で知人に会って食事をしたときに、
その聞き覚えのない言葉ダンシャリという響きを、始めて聞きました。
どうやら、世間をちょっと賑わしているらしい、と聞きましたが、
へえ、そんものもあるのか、程度にしか考えていませんでした。
それから数ヵ月して、私生活の状況が一変したことがきっかけで、
ふと、あの時知人の口から発されたダンシャリのことを思いだし、調べてみると、
なるほどたくさんの関連本を見つけることができました。
そこで、何冊か読んでみました。
なかなか考え方はしっくり来ました。
もともと整理整頓が好きな私でしたが、一方で、思い出の品をなかなか手元から離せず、
年々そういった手放せない思い出の品が、部屋のすみにたまっていくのを自分で気づいてもいました。
そこで、ここは、と意を決して断捨離を行ってみました。
断捨離と整理整頓は、似てまったく異なるものです。
確かに、実際に行うと、躊躇が出てきました。
もっとうまく整理すれば保管しておけるのではないか。
ただし、実際、保管しておいたところで、恐らく一生忘れ去られるものもあるでしょう。
また、ものがたくさんあると、実際に特定のものを探そうとしたときも、
なかなか溢れる物の中から見つけ出せずに非効率的です。
結局見つけられずにストレスをためる原因も作ってしまいます。
そういう迷いをたちきるところに、まず大切な断捨離の極意があると思います。
しかし、体験したのは、意外にもこの極意さえつかんでしまえば、
あまり余計な力は使わずとも次から次へと、思いきってものが処分できるようになり、
その上、この勢いはだんだん強められ、みるみる不用品が減っていきました。
そして、ものがなくなると、心も空間もすっきりするのです。
これは、きっと、気持ちの整理がついたからでしょう。
実際にスペースも増えるのですから嬉しい限りです。
このように生活を整えていくと、自分で、何かを始めようという気がわいてきたり、
新しい何かをてに入れようとするときにも、
本当に必要なものがすっと自然に自分の生活に入ってくる余地がある気がします。
いろいろなものに囲まれて生活していると、どこか過去に縛られたり、
思いの数々が、先入観に繋がったりして、
まっさらに今起きてくることをとらえられなくなるのでは、という気がしています。
大掃除、のようなやり方の断捨離もよいですが、
きっと、日々断捨離、のような生き方がもっともよいのでは、と感じる今日この頃です。