家には沢山の思い出と沢山の物が有るのです。

私は、障害者で、一人暮らし、一軒家に住んでいます。

家には女房との思い出、家族との楽しかった時の思い出がたくさんあります、

それと共に、荷物もたくさんあるのです。

 

田舎の一軒家部屋もたくさんありますが、

そこには、不要な物もたくさんあります、

断拾離をして片付けたいのですが、障害者の私には、大きなものを移動させる事さえ出来ません、

階段を上り二階へ行くのさえ大変な生活を送っているのですが、

細かな物は暇を見ながら、また体調に合わせて、片付けてはいるのですが、

ごみと思えるものもすべてに、思い出がしみ込んでいるのです、

一つを手にすることに、思い出が甦ってくるのです。

 

田舎の一軒家、生まれ育ったところです、

昔は大家族で暮らしていた我が家も、とうとう私一人になってしまいました。

一人娘は、冬の北海道を嫌い、本州へ行って暮らしています。

年に一度くらいしか帰省もしません、

 

なぜこんな所に住んでいるのでしょう、

冬は除雪に追われる様な日々をお送り、

夏は草の始末に追われるような所に、

障害者が一人で暮らすような所ではありません。

 

しかし、私はここが好きなのです、

周りの風景、そして、友達、周りを見れば知っている人ばかりです、

そんな環境が好きなのです、

 

冬は、雪の降る音、夏は虫のなく声を聴きながら、

今は、障害者支援施設に通いながら、一人での生活も、すでに、5年が経ちます、

家の中は妻が無くなったときのままです、

そこに新たに私の物が加わり、自然に物が増えています、

少しずつ片付けながら生活空間を確保しているような状態です、

 

しかし、ここで暮らしていた、親との思い出の物は、まだあります、

それを見るたびに思い出がよみがえるのです、

毎日仏壇を見るたびに、多くの思い出がよみがえり、

始末の出来ないものが沢山あるのですが、

今はもう一人、自分の生活に必要な物だけで、十分です、

割り切って、始末するしかないのです、

 

思い切る事がこれからの私には必要な事なのでしょう、

思い出との決別、そして、新たな自分だけの思い出を作りながら、

これから先を生きていくのでしょう。

 

そのために、断拾離が必要なのでしょう、

物に思いを残すのではなく、自分の心の中に残す思い出で十分なのです、

そんなことを思いながら、始末する段取りを考えています。

 

思いっきって、やらないと、何時まで経ってもかたず来ませんから、

気合を入れて出来るだけ一気に始末をしようと考えています。

それが断拾離なのではないでしょうか。



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